本当に私が可愛いかったですか?
嫁が憎けりゃ孫まで憎い。そんな言葉を知ったのはだいぶ大きくなってから。祖母から優しい言葉がかけられることは滅多になかった。
何かにつけて「弘子(母親)に似て憎たらしい。」と言われたものだった。
祖父は仕事が忙しく、滅多に関わりがなかったが、たまに機嫌良く相手にしてくれることがあった。
祖母と一緒になって酷いことを言う時もあったとはいえ、祖父の実家に行く時にはよく一緒に連れて行ってくれたりした。
私は祖父が自分に都合の良いように嘘ばかりつくのではっきり言って嫌いだったが、祖父の実家に行くとハトコたちがいて遊びたかったのと、そこで飼われているネコと遊びたかったのでよくついて行ったものだった。
しかし、それは全部機嫌の良い時だけで、急に不機嫌になることも多く、いつスイッチが入って怒り出すかわからないので自分からは「行きたい。」とは言わず祖父から声がかかるのを待った。
繰り返される捨てられた話
祖父母は何かあるたびに、いつもの話、父親は母親に私を捨ててこいと言われて可哀想だから私をこの家に連れてきたという話をした。
何かとは、悪さをしたとき、自分の思い通りにいかなかった時、成績が悪かった時など沸点が低い祖父母はすぐに傷つくような話をしたり叩いたりした。
「橋の下で拾われた話をされた」というのはたまに聞く。昔はそう言ってからかったりして、子供は本気にした。
親は冗談で言うのだろうけど、はっきり言って子供にとっては全然面白くもない。
そんなことを言われて傷つかない子はいないだろう。
むしろどういうつもりでそんなバカげたことを言って自分の子を傷つけるのか問いただしてやりたいくらいだ。
幼い頃から捨てられたとか、可哀想だから育ててやっただとか言われた私の心の傷は大人になっても、いまだに払拭できない。
私はもし今祖父母に会えたらなぜそんなことを言ったのか聞いてみたい。
私のこと可愛かったですか?まだ3~4歳くらいの小さな子供にそんな話を聞かせてどんな気持ちでしたか?
そう言われて傷ついて泣いている私を見てどんな気持ちでしたか?
私は小さな胸が張り裂けそうでしたよ。
嫁に似ている、だから何?
それでも大きくなってからは、私は私なんだから、そんなことはできるだけ思い出さないようにしてできるだけ明るく振る舞い、何とか取り繕って生きてきた。
怒鳴られたり殴られたりしたことも、それを躾だったと片付けられるほど簡単なものじゃなかったし、母親に対しての恨みのような気持ちでやられていた気がする。
父親が自分たちの思い通りに育たなかったことの八つ当たりもあったと思う。
捨てられた話同様「弘子に似ている。」話もよく出てきた。
母親に似てる部分があったって親子なんだからおかしくないはずなのに、いちいち「弘子に似て態度が悪い。」だの「弘子に似た目つきが気に入らない。」だの・・・。
ちょっと気に入らないとすぐに棒でたたいたりげんこつで殴ったり、些細なことでも怒鳴りつけてひどい言葉で言い負かしてきた祖父母。
私の母親は、この人たちに何をしてそんなに嫌われているんだろう?
どうしたらいいの?どういうことが祖父母の理想通りの良い子なんだろう?
本当はそんなこと思う必要がないはずなのに、私はそれがわからなかった。
昨日は許された行動が今日は許されないこともあったりして、いつも顔色を伺いながら、できるだけ自分のことを話さないようにするしかなかった。
先祖を敬う気持ち
インスタで【開運】についてのリストアップし発信している記事をときどき見かける。
その中に必ずと言ってもいいくらい「親や先祖を敬っていない人は運に見放される」みたいなことが書いてある。
私は先祖を大事にしていないから開運から見放されますよいうことなんだろうか・・・。
祖父母や父親が埋葬されているお寺の住職にも「親がいたから、祖先がいたから自分がいるんだと考えてたまにはお参りされたらどうですか?」と言われたが・・・。
でも今はそれが苦しい。いろいろなことがありすぎて、父親が亡くなってからは全くお寺に近づけなくなった。
でも私、父親が亡くなるまで「酷いこともたくさんあったけど、今の自分がいることに感謝しなくちゃな。」
そう考えるようにしてお参りしていた。
でもその行動が自分を苦しめていることに父親が亡くなって気が付いてしまったのだ。
ここ数年は、たとえそれが自分の祖先であったとしても、されて嫌だったことを今すぐ許す必要はないと、少しずつ考え方が変わってきた。
だってそうしないと、私の心がいつになっても健康になれない。
私はもっと私を労わってあげる必要がある。
そう思っているのに、毎日心の葛藤が続いている。
それって、私は開運からほど遠い行動をしているのだろう。今はそれでも仕方ないと思う。心を病んでまで開運なんて今の私には縁がなくても仕方がない
私の良い部分を形成してくれたのは祖父母でも父親でも母親でもなく、ありがたいことに周りの人たちに恵まれたおかげだと思っている。
だったら、敬うべきは先祖ではなく赤の他人の私に厳しくも優しく接してくれた周りの人たちなんじゃないかなと思うから。
だから、いまは敬えない自分でも自分が一番愛してあげようと思う。
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