年上との接し方【沢田弥生という上級生】

小学生時代

私はみんなに嫌われたくないからと、よくふざけて笑いを取ろうとした。

ちょうど3~4年生の頃。おどけるとみんなが笑ってくれるのが嬉しかった。

それがみんなに好かれている事と思っていた。でも、みんなが慣れてだんだん笑わなくなってくると、このままだと嫌われてしまうと思って不安になった。

どうしたら笑わせられるかと、調子に乗ってふざけすぎてどんどん度がすぎてきて「アイツ調子に乗りすぎじゃね?」と上級生にも目をつけられ始めたのが4年生の頃。

クラブ活動が始まり、音楽クラブで上級生と交わるようになってからだ。

年上を敬うということをきちんと教わっていなかったせいもあって、接し方がわからず、生意気だと言われることが多くなった。自分では全く何が悪いか気が付いていなかった。

周りを見ると、同級生は上級生に敬語で話していた。音楽クラブに入って小学4年生でも5〜6年生と話すときは敬語というのに気がついた。

「あぁ、だから班長と副班長も生意気だと言ってたのかもしれない…。」

登校班でのこともうっすら気がつき始めていた。

とはいえ、どういうところから気をつけたらいいのかも検討がつかなかった。

そんなところに日本舞踊の話が出て、踊りの先生に礼儀作法を教わりとにかく、音楽クラブでも礼に始まり礼に終わる気持ちで取り組んだ。

すると、少しずつだけど、上級生が話しかけてくるようになり私はこうして一歩ずつ変わるものなんだなぁと感じるようになった。

残念なことにそんな中にも必ず厄介な人がいる。

音楽クラブの5年生、沢田弥生だ。とにかく、性格がキツくて同級生ともしょっちゅう喧嘩をするような人で、周りに何人かの取り巻きがいて、既に番長として仕上がっているようだった。

もちろん、私たち下級生はその頃から廊下ですれ違う時も沢田弥生が来るとペコペコお辞儀をしなくてはならなかった。小学生なのに。

本人が気がつくまでペコペコしなくてはならず、もし気が付かれなかったら後々「さっきは挨拶がなかった。」と言われるので面倒だった。

私は沢田弥生にモーレツに嫌われていた。理由は自分では全く分からない。パートも違うし接点がない。

同じパートの上級生に嫌われるならまだわからなくもないが。

沢田弥生は私が他の上級生と話していると「ちょっとこっち来て…」といって連れて行ってしまい、とにかく私には誰とも喋らせないようにしていた。

もちろん、そんな中にも必ず優しい人が居て「沢田さんがうるさいから、いる時は話しかけないでね。居ない時は話しかけても大丈夫。」といってくれる人もいた。

沢田弥生は、私と家庭環境が似ていた。

両親はおらず、祖父母と妹と4人で暮らしていた。どうして両親がいないのか理由は知らない。

そして私と違うのは妹が一緒にいたということ。

今だから思えることだけど、私と似ているところがあったのかもしれない愛情不足ゆえに性格がゆがんでしまったのかもしれない。

とはいえ、4年生の私は嫌われたくないとおどけながらも、気に入らないことがあるとちょいちょい意地悪をしたり、なんとなく不安定な気持ちで過ごしていたのも確かで、今でもあの頃のことを思い出すと恥ずかしいし切ないし抱きしめてあげたくなるのだった。

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