手乗り文鳥のピーコ

小学生時代

手乗りの白文鳥

祖父は店も構えていたが営業もしていたので、遠方での仕事で帰りが遅くなりそうな時は私も連れて行かれることがあった。

とあるお客さんの家に行った時、そこには可愛い文鳥がいた。

手乗りの白文鳥で忘れもしない名前は「チュリちゃん」という。

チュリちゃんは呼ぶと遠くから飛んできてそれはそれは可愛かった。

そこの奥さんが「指を出してごらん。」というので私は指を出すとピョンと飛び乗ってきた。

小さな白文鳥は温かくてそれはそれは可愛かった。

私は手乗り文鳥が欲しい!と祖母にねだったがもちろん答えはNo!

私が諦めて忘れかけた頃に、急に近所の人から手乗り文鳥をもらってきた。

どういう風の吹き回しか?たまたま近所の人に私の話をしたらくれたという。祖母はそうやって急に気が変わることがしょっちゅうあった。

なので私は、しつこくすると急に気が変わって手に入るかもしれないと常々思うようになった。非常に良くない。

名前はピーコ

私は嬉しくて「ピーコ」と名前をつけた。

手乗り文鳥と言っても、ちょっと手に乗るくらいでチュリちゃんほど懐いていなかったが、同じく白文鳥で綺麗な声でよく鳴いた。

鳥カゴに手を入れて乗せるように訓練して、よく懐くまでは決してカゴの外に出さないようにと言われて毎日少しでも手に乗せたが大人になった文鳥は残念ながらあまり懐かなかった。

子供には正直そんなのは難しい。

その後も私は何度か文鳥を飼っているけど、どの子も相当のヒナから育てて毎日のようにカゴの外に出してやって遊んでやらないとチュリちゃんのようには懐かない。

今考えても微妙な個体をもらってきたもんだ。

となると、ピーコにはだんだん興味がなくなり、餌やりと水の取り替えくらいしかせず、なんとなく観賞用の文鳥になってしまった。

新しい鳥かご

その年の夏休み、大好きな久恵ちゃんとその弟の慎吾くん、孝子ちゃんと勝くんも遊びにきた。

私が文鳥を飼い始めたと聞いて、昔、久恵ちゃんが飼っていたインコのお下がりの大きな鳥カゴやエサ入れなどをたくさん持ってきてピーコの部屋は急に広く豪華になった。

エサ入れにフンが入ってしまうこともあったのが、もらったエサ入れにはカバーがついていて小窓から頭を入れてエサを食べられるようになっていた。

私たちは久しぶりの再会で楽しく過ごして、すっかりピーコのことは頭になかった私は次の日の朝、ピーコが鳥カゴの中で倒れているのをみつけて驚いた。

「え?え?なんで?」

訳が分からなかった。

後に、わかったことはピーコはエサ入れにカバーがついた事で食べ方がわからなくなったようだった。餌が全く減っていなかったのだ。

鳥はいつでも空を飛べるように常に身軽であるようにしょっちゅうフンをする生き物。

だから、長時間エサが食べられないとすぐに死んでしまう。

久恵ちゃんたちはなんとかしようとピーコに水を与えたりしたが、残念ながらそのまま息を引き取ってしまった。

私は泣いた。久恵ちゃんが持ってきたカゴのせいにして泣いた。

手に乗らないからとあまり構うこともなかったくせに、死んでしまったとなったら誰かのせいにしないと気が済まなかった。

ちゃんと様子も見なかった自分のせいだと認めたくなかったのか、私は久恵ちゃんのせいにして泣いたのだった。

久恵ちゃんと孝子ちゃんが二人でどこかへ行き帰宅したその手には小さな箱があった。

桜文鳥のミーコ

「真子、ごめんね、白い文鳥はいなかったけど、この子を可愛がってあげて。」と私に箱を渡してきた。

箱の中には成鳥の桜文鳥がいた。

「いらない!これはピーコじゃない!黒くてカラスみたい!それに全然懐いてないじゃん!」

久恵ちゃんは下を向いて黙っていた。

ピーコだって大して懐いてもいなかったけど、近づいただけでバタバタと騒ぐミーコ。私は納得できなかった。

孝子ちゃんはピーコは可哀想だったけど、この子も可愛い。代わりにはならないだろうけどせっかく買ってきたんだから可愛がって欲しいと言ってきた。

「久恵ちゃんだって悪気があったんじゃないんだからいつまでも我儘言うな。」と

みんなに説得されてその桜文鳥に似た響きで「ミーコ」と名前をつけて飼うことにした。

成鳥なのでその後も全く懐くことはなかったが、ミーコもとても良い声で鳴いた。


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