孝伯父さんと光子伯母さん

幼児期のわたし

私の七五三

孝伯父さんも、訳があって一時来ないことがあったが、私の七歳のお祝いを機に家族で遊びにくるようになった。

というのも、孝伯父さんの奥さんである光子伯母さんは美容師で着付けもできるということで私のお祝い着の着付けにきてくれたというわけだ。

光子伯母さんはその昔、麻布の美容室に勤めていて、某有名タレント80超えなのにアクティブなあの夫人が通う店で働いていたそうで、そのせいか歳を重ねても今でも綺麗な伯母さんだ。

七歳のお祝い

着物は久恵ちゃんが着たもので、さすがお金持ちだけあって豪華なおそらく正絹の着物。

朝早くから、光子伯母さんが髪を結い着物を着せてくれてメイクをしてくれた。

孝伯父さんの家族と、祖父母と私、はたから見たらこの人たちが家族のような7人で歩いて近所の神社に参拝した。

その後神社の近くの写真館へ行き記念写真を撮影。

節子伯母さんが着物を貸してくれて、光子伯母さんの着付けのおかげで、私は無事に七五三のお祝いをしてもらえた。

これがもし、着物もない、着付けも美容院となったらこんな風にしてもらえなかっただろう。

孝伯父さんの存在

それにしても不思議だった。

家にある本のほとんどは孝伯父さんが私にと持ってきたもの。いくらお下がりだと言っても、どれも美品。本当にお下がり?と思うほど。

その後も、勝くんのお下がりだという参考書や、年度初めには伯父さんが買った教科書ガイドやドリルをわざわざ送ってきた。

幼稚園時代は嬉しい本の贈り物だったけど、小学生になると、勉強のものばかり送ってくるので有難迷惑だとも思っていた。

そして来るたびに「伯父さんが送ったドリルで勉強してるか?」と聞いてきた。こんなことを言うと申し訳ないが(苦笑)もうそりゃぁウザイなんてもんじゃなかった。

なぜ私にだけ?

真知子伯母さんも節子伯母さんもそんなことしないのに・・・。

そして、その後も何か事あるごとに私は東京の孝伯父さんの家に預けられた。長期休暇の時が多かったけど、きょうだいがいない私はそれがうれしかった。

孝子ちゃんと勝くん

孝子ちゃんも久恵ちゃん同様、今時のオシャレなお姉さんでなんだかんだと世話を焼いてくれた。

ときどき意地悪なことをするのだが、「可愛いからいじめたくなる。」と言った。

幼い私にはその気持ちはまったく理解できなかったが、光子伯母さんが本当の娘のように私に接してくれるので、私にとって孝子ちゃんは本当の姉のようだったし、勝くんも本当の兄のようだった。

遊びに行くと、孝子ちゃんは光子伯母さんに「真子に何か買ってあげて。」とお金を渡されて近所のファンシーショップに連れて行ってくれ、その都度何かを買ってくれた。

まぁ、今思うと自分も欲しいものがあるからその口実だったような気もする。

都会のファンシーショップは品ぞろえがよくその頃流行り始めたキティちゃんのグッズもたくさんあった。

ちょっと大きくなると何か欲しいものはないか?と聞かれることもあり、原宿や渋谷にも連れて行ってもらってその頃の田舎では誰も持っていないようなオサムグッズのハンカチを買ってくれたこともあった。

勝くんも慎吾くんと一緒だと「女は邪魔だ!」という態度だったけど、二人の時は私を自転車の後ろに乗せてあちこち連れて行ってくれた。

今も特に思い出すのは、勝くんと自転車に二人乗りして東京タワーへ行ったこと。

光子伯母さんがお小遣いをくれて、蝋人形の館に行ったことを思い出す。お小遣いが少なかったので展望台には登れなかったけど、東京タワーと書いてあるお土産を買ったな・・・。

孝伯父さんの家に行くと、楽しかった。もちろん、伯父さんが「勉強しろ!」とうるさかったのだが、孝子ちゃんも勝くんも、時間を決めて勉強に集中していて、そして二人は祖母も自慢するぐらい優秀だった。

私は景子先生の時と同じように「光子伯母さんがほんとうのお母さんだったらなぁ・・・。」と

またそんなことを考えていた。


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