ピアノ教室を辞めた訳【1】

幼児期のわたし

音楽教室へ

私が自分からやりたいといった覚えはなかったのだが、幼稚園の頃ヤマハの音楽教室に通っていた。

ピアノの先生も、若くて美人の先生で景子先生のように私たちにエリーゼのためにを上手に弾いて聴かせた。

他にもクラシックを上手に弾いてくれて、憧れの存在だった。

生徒は10人くらいいたと思う。みんな同じ幼稚園の子たち。

その中にはいつもつっかえもせず上手に弾ける子が何人かいた。

それを期に、私は某メーカーの電子ピアノを買ってもらったのだが、昔の電子ピアノは今のようにアコースティックピアノにより近く作られているなんてこともなく、所々が重いプラスチックの鍵盤で弾きにくくて、私はそのピアノで練習するのが嫌でたまらなかった。

教室では電子オルガンで練習するのだが、ヤマハの電子オルガンは柔らかくて弾きやすかったので教室では弾けるのだが家のピアノになるとどうにも弾きにくい。

弾きにくいとなるといつもの「もうやりたくなくなった」病が出た。

祖母はレッスン後に帰宅すると「練習しろ。」とだけ言って自分は仕事を始める。

レッスンでは隣について教えてくれるのに(そういう決まりなのもあるけど)、家では1人でやれと言う。

電子ピアノは居間や店から離れたところに置いてあり、誰が通りかかるでもなく、なので1人で練習するしかなかったのだが、弾きにくいという理由から全くやる気が起きなかった。

レッスンはいつも祖母が付き添っていたので、祖母もわかっているはずだと思うが、片手では弾けるけど両手では弾けない。

そのくらい下手くそだった。なのに家で練習に付き添うことはなかった。5歳の子に「自分でやれ」とただそれだけ。

ピアノなんて壊れてしまえ

たまに来るいとこたちにいたずらに弾かれる電子ピアノ。

祖母はいとこたちには甘いのでいつもは何をしても注意しないのだが、ピアノだけは「壊れるから止めなさい!」と注意していた。

私は、「さっさと壊れてしまえばいいのに…そしたら弾かなくて済むのに…」と内心思っていた。

残念なことに、ピアノはいくらいとこたちが乱暴に扱っても壊れることなく、その後もたまに祖母が思い出したように弾いていた。

伴奏は和音でもない、右手も左手も同じ音階で弾きながら「荒城の月」か何かを歌っていた。

聴けないレコード

音楽教室ということもあって、大好きな歌もたくさん歌った。

私は幼稚園では教わらない歌をたくさん覚えることができてとても楽しかった。

教本に沿ってレコードもあったが家にプレーヤーがなかったのでレッスンの時に先生がかけてくれる時にしか聴くことができず、家でも聴けたら良いのになぁ…といつも思っていた。

こういう時にいつも思っていた、祖母はなぜレコードという教材は買って再生機器は買わないんだろう?

不思議とそういうことは多々あった。

家では教本を見ながら歌った。特に風よふけふけが好きで、1人でよく歌ったのを今も思い出す。

初めての発表会

音楽教室では年に1回発表会があり、トライアングルやカスタネットなどのリズム楽器の合奏発表や歌の発表、もちろん本命のピアノの発表もあった。

そして、迎えた発表会。会場はいつものレッスンの教室で、同じ学年の子だけの小さな発表会だった。

全員の課題曲は忘れもしない、「かっこう」だった。

アップライトピアノの前で私は第一声「こっちの手(右)は弾けるけどこっちの手(左)は弾けない。」と言った。

振り返ると他の保護者はクスクスと苦笑していて祖母はものすごい怖い形相でこっちを見ていた

先生は「右手だけでいいよ。」と優しく言ってくれたので、私は右手だけで主旋律を弾いて席に戻った。

祖母はものすごい怖い顔でつねってきた。痛かったけど怖くて声も出せず、その日は記念品をもらって帰宅した。私は家に帰るのが怖かった

帰宅して待っていたのは

帰り道、祖母はいつもなら危ないからと手をつなぐのだが、私が手をつなごうとしたら振りほどいてきて、無言のままどんどん歩いていった。

これは絶対に怒られるやつだ・・・。私はできるだけゆっくり歩いた。帰りたくなかった。

「早くしなさい!」と呼ばれたけど、私はゆっくりゆっくり歩いた。

家の前まで着いたけど、なかなか入らなかった。

「早く家に入れ!」と促され靴を脱いで上がったその時

いきなり頭をぶっ叩かれて体を蹴飛ばされボコボコにされた

「恥をかかされた!」と、殴る蹴る、止まらない暴力に私は逃げた、家の中を逃げ回った。けどどこまでも追いかけてきて殴られた。

うちは商店街だ。隣との距離はかなり近い。人が1人ようやく通れるくらいの隣り合わせ。

隣のおじさんかおばさん絶対聞こえてるでしょ?

助けに来てくれないかな?

商店街の買い物客が通りすがりに見つけてくれないかな?

私は「助けて!助けて!」と叫んでいた。

見かねた祖父が「もういいだろう。近所に聞こえる。」と止めに入ってようやく暴力は終わったが「おばあちゃんを怒らせるお前が悪い。」と私が悪いと責めてきた。

そして、近所の人は誰一人助けに来なかった。

その日の夜、祖父はまたいつもの「山に捨ててこい」の話をしてきた。

「おばあちゃんも、お前のことを可哀想だと思って一生懸命育ててきて、お金をかけてピアノも習わせてもらってるんだ。そうまでして育ててやってるのに何やってんだ?」とそんなことを言う。

私は山に捨てられそうになって救われて可哀想だから育ててもらってピアノも習わせてもらったの?

私、ピアノ習いたいなんて言ってないけどな・・・。

「もうピアノは行かなくていいから。」祖母が言った。

そう、私はいつの間にか音楽教室を辞めていた。



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