音楽クラブの思い出

小学生時代

学校のクラブ活動

私が通っていた小学校は4年生からクラブ活動があった。

水曜日の午後はクラブの時間で全員何かのクラブに所属する。

子供が多い時代だったので、編み物クラブや造花クラブ、刺繍クラブなど手芸ものでも各種別れていたり、

将棋クラブや囲碁クラブ、トランプクラブ、オセロクラブなどのボードゲーム系もそれぞれ分かれていてたくさんのクラブがあった。

野球やサッカーはスポーツ少年団があったので、クラブとしてはバスケや体操などがあった。

祖母は4年生になったら「音楽クラブに入りな!〇〇ちゃんも△△ちゃんも頭のいい子はみんな入ってるから!」と言っていた。

頭の良い子がやってることは何でもやれと勧めてきた。

そんなことは関係なく、私は歌が好きだったし、合奏もできて楽器の演奏もできるのかともちろん入りたかった。

一度はピアノを挫折したがなにか楽器が弾けたら良いなという気持ちもあり音楽クラブを選択した。


歌が大好き

いとこの久恵ちゃんも歌が大好きだった。とても上手く、アイドルが大好きだったせいか流行りの歌をよく歌っていて、私にも当時流行りの歌をたくさん教えてくれたものだった。

明星や平凡の歌本を持ってきてくれたり、振り付けも教えてくれたり、私は久恵ちゃんが遊びに来てくれるのがいつも楽しみだった。

その影響で、歌番組を観ながら1人で歌ったり振り付けを真似したり

歌番組全盛期と言っても良いほど、あの頃はたくさんの歌番組があった。

そんなこともあり、いつでも歌っていたいような私だったので音楽クラブは毎週の楽しみとなった。

楽器が弾けたらいいな

一度は挫折したピアノも、3年生の時のオルガンブーム(うちのクラスだけ)で少しだけど曲が弾けるようになった。

たまたま3年生の時「俺、オルガン弾けるようになりたい!」と言って休み時間になると下手くそながらもオルガンの練習をしていた男子がいてみんなで盛り上がったのだ。

最初は男女合わせて4〜5人集まってピアノが弾ける子に弾き方を教わり、みんなが簡単な曲が弾けるようになってくると「俺も!」「私も!」と休み時間にはオルガンに順番待ちの行列が。

私もそこでようやく両手でオルガンを弾けるようになり、楽器を弾くことが楽しく感じてきたところだった。


合唱コンクールと鼓笛隊発表に向けて

4年生になり、クラブ活動がスタートした。

音楽クラブはクラブの時間だけでなく朝練や放課後練もあって、夏休みにも練習があった。

運動会では鼓笛隊で演奏、秋には合唱コンクールの地区予選があるということで夏休みもお弁当を持って学校へ行った。

真夏の暑い体育館で歌の練習と鼓笛隊の演奏と行進の練習。

好きなことだったので苦痛に感じることはなかったが、上級生と馴染めなかったことを覚えている。

私は合唱はソプラノパート、合奏はピアニカに決まった。

楽器は4年生全員ピアニカスタートが決まりのようで、どんなに上手な子でも大きな楽器は上級生と決まっていたが3人ほど小太鼓に選ばれる人がいた。

4年生で小太鼓の顔ぶれを見ると、相当の成績優秀者で私なんかが叶わない人ばかりなのに、帰宅してピアニカなのを伝えると祖母はたいそうがっかりした様子だった。

特に仲良しの子はいなかったし、きょうだいのいない私は上級生との馴染み方もわからず(接し方がわからない)にいたが、毎日の練習が楽しかったので休まないで励んだ。

鼓笛隊本番

小太鼓ではなかったとはいえ、運動会の鼓笛隊を見て、祖母はたいそう喜んでいた。

鼓笛隊で、私はたまたま、周りに成績優秀な子がズラリと並んでいるポジション混じって、ビシッと整列して行進しながらピアニカ演奏をしたのだ。

写真を見せながら自慢げに話していた姿を今も覚えている。私はそれが本当に嫌だったし恥ずかしかった。

そして、今も忘れない。鼓笛隊はベレー帽をかぶるのだが、みんなは上級生がかぶり方を指導していたのに私には誰も教えてくれなかった。

何か嫌われるようなことしたのかな?私はいつもなんとなく雰囲気でそう思っていた。

同級生の子が見かねて私の帽子を直してくれた。

「ありがとう。」というと、その子は上級生に見られないようにそそくさと立ち去った。

私と話したりしてはいけないのかな・・・?なんとも嫌な気持ちになったのを覚えている。

合唱コンクールのオーディション

運動会が終わり、合唱コンクールに向けてのオーディションが始まった。

ひとりひとりクラブ担当の先生の前で歌うのだ。

6年生は最後の年なので全員参加が決まっていたが、5年生も何人か落とされて4年生は3~4人程度選ばれることになっていて狭き門だった。

確か、4年生だけでも20人ぐらいいたと思う。

私の順番が回ってきた。口から心臓が飛び出るかと思うほど緊張した。

そして、いつもなら絶対に間違えない上手く歌えるところを、肝心なところの音を外してしまった。「あぁ、やっちゃった…。」

このたった一回しくじっただけで、もう次はなかった。

もちろん私は落選。

帰宅しても祖母が怖くて言い出せなかった。

落選すると朝練や放課後練などは強化練習として選抜された子だけが参加する。

私はその練習に行かないことをなんと説明したらいいかわからず、「今日は先生の都合で練習がない。」とか「頭が痛いから休んだ。」と言って帰宅した。

バレるのにそう時間はかからなかった。買い物に行った時、同じクラブの子(A子)の親に会って話を聞いたのだ。

「何やってんだ!みっともない!なんのために今まで練習してきたんだ!ちゃんとやったのか?いい加減にやったから落ちたんじゃないか?」

殴られはしなかったけど怒鳴られた。そしてまた何日も口をきいてもらえなくなった。

そんなこと、自分が1番よくわかっている。休まないで練習に参加したし、誰よりも頑張ったつもりだ。

そして誰よりも傷ついているのも私だ。

「〇〇ちゃんを見習え!勉強もできる子はこういう時も頑張ってるんだ!お前は勉強もできない、合唱も選ばれないで何だ!」

そんなの勉強のできるできないは関係ないだろ?と思ったけど、祖母はもう言い出したら止まらないのか傷をえぐりまくった。

私はもう音楽クラブが嫌になった。水曜日のクラブの時間には行くしかないのだが、何かもう先生の顔を見るのも嫌だった。

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