怒らないから正直に言いなさい。
何かある度にこう言われたが私は絶対に怒られるであろう事を正直に言えなくなっていた。本当に怒らない親もいるかもしれないけど、ウチは100%どっちだとしても怒られた。
正直に言っても怒られるなら・・・
だったら、一か八かで嘘をついた方が良い。本当のことを言っても100%殴られるのなら、20〜30%の確率で嘘を突き通せて安泰な結果の方が良いというものだ。
とにかく4年生の頃の私は、自分の意に沿わない友達には意地悪だったし、かと言って仕返しされると被害者ぶっていたのでトラブルも多く「正直に言えば怒らないから。」ということはよく祖父母や先生から言われたものだった。
先生も明らかに私を疑っていたと思う。先生は大抵の場合、正直に言うと本当に怒らない。
怒りはしないが指導はする。そして通知表に書いてくる。
稀に先生の、えこ贔屓が入って理不尽な指導の時もあった。私が情緒不安定なのも本質を突かないでただ通知表に書くなんて今考えたらどうかしている。
私が家で怒られるだけじゃん?と今考えても当時の先生の行動には疑問しか浮かばない。
そして、家では祖父母に正直に本当のことを言おうものなら殴ったり叩いたり怒鳴ったりした。
だったら、祖父母にも先生にも正直に言うメリットはどこにもない。
たまたま嘘をついて運良くそれを信じてもらえればラッキー。
そのまま嘘を突き通せて終わればそれでいい。稀になんらかでバレたら結局のところ殴られるのだけど
バレない方にも少しは懸けた。
普通に過ごせば良いだけなのに。
そんな博打的なやり方をしないで、普通に意地悪もしない生意気な態度もしないで穏やかに過ごせば良いのに…。
今考えたらそう思う。
なぜあの頃の私は自分のことしか考えられなかったんだろう?
私は心理学者ではないので、その時のことが自分でもわからないのだけど、普通では考えられないほど、そして思い出すのも恥ずかしいほど、本当に性格が悪かった。
ちょっと気に入らないことがあるだけで、友達なんていらないと言ってしまったり、それで絶交しては逆恨みした。
言いだしたのは自分なのに「なんで本当に絶交するんだろう?なんなのアイツ?」と思っていたし、泣いたり嫌がったりする顔が見たくてコソコソと意地悪をした。
クラスの嫌われ系男子のシューズとその子のシューズを入れ替えてみたり、相合傘を描いたり些細なこととはいえ本人が嫌がることをして憂さ晴らしをしていた。
私が犯人だと分からなそうな嫌がらせをして困る顔を見て楽しんでいた。
たまにバレてしまう事もあったけど、誰にも見られてなければシラを切り通せばいいと思っていた。
しなかったことといえば、怪我をさせたりするような暴力を振るったりすること。それだけは絶対になかった。殴られる痛みは人一倍わかっていたせいかもしれないけど、何よりも手を出すとこちらが絶対に悪くなるとわかっていたというのが一番。
バレないようなことをメインにしている辺り相当だ。
そうして、どうせ怒られるから正直に言うこともなく、何とも言えないイライラから腹いせに意地悪を考え自分の楽しいことだけに力を注いで保間られないことはだんだん手を抜き始めるようになっていく私だった・・・。
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