棒で叩かれた翌週、市内の公民館で発表会が行われた。
私たちは2つの演技をお披露目することになっていて緊張でいっぱいだった。
着替えの手伝いとして、博美ちゃんとアッキーのお母さんも来たが、他の親は全員店を経営していたし(なんせ商店街のメンバーなので)公民館まで近かったので私たちはみんなで歩いて公民館に向かった。
私は祖母が観に来ないといいなと思っていた。
家では必要最低限しか話さないし、家族間の挨拶(おはようもおやすみもなにもかも)なんてない。
何か頼まれても快く引き受けたりもしないし、何かをしてあげようという気持ちもほとんどない。
なので、自分がきちんとしている姿を見られたくなかった。見たら絶対に言うだろう。「踊りでできるんだから、家でもいつもそうしろ!」と。だから絶対に嫌だった。
本番の会場に祖母の姿はなかった。私は心底ホッとした。
他のお母さんたちは、仕事の合間にちょっとだけ観に来てすぐに帰っていた。博美ちゃんのお母さんがたくさん写真を撮ってくれていて、祖母はその写真を譲ってもらってった。
私は発表が終わった後、みんなでロビーの椅子に座ってふざけ合いながら撮った写真が気に入っていて今でもその写真を見るとあの時のことを思い出す。
その後も、夏木先生は隣県に遠征したりと私たちをあちこち連れて行って発表させてくれた。
普段からどこにも連れて行ってもらえない私は、この遠征が楽しみだった。
それに、遠いところなら祖母もついてこない。夏木先生とまじめにお行儀よくする日舞の時間が異世界で私は好きだった。とにかくこの自分に祖母の目が届かない。何よりそれが一番だった。
約一年、夏木先生に日本舞踊を教わったがその後は興味のある人だけ残ってくださいと一旦グループは解散した。要は月謝を払っても続けたい人ということだ。
祖母は自分もやっていたせいか、そのまま続けるように勧めてきたが、私はもうやらなかった。夏木先生も踊りも好きだけど、月謝を払ってまでなんていったらいつ観に来られるかわからないと思ったし、習い事が多すぎて遊ぶ時間がないのもちょっと疲れていた。
博美ちゃんとトモちが残ってしばらく習っていたが、中学に入学するタイミングで辞めてしまっていた。
夏木先生に教わった作法は、私の中に今も根付いている。そして、あの時みんなで習った日本舞踊もその後のおやつタイムも楽しかった思い出として残っている。
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