ナツメ球の思い出

幼児期のわたし

父親のこと

父親はたまにしか帰って来ない人だった。

祖父母は商売をしていたので、本当はその商売の後を継ぐ予定の人だったそうだ。

しかし、結婚して姉が生まれてから間も無く祖父母と喧嘩して家族で家を飛び出し、その後私が生まれて、しばらくして母と離婚

その後、私は父親と2人で暮らしていたようだけど、気付いたら祖父母の家に住んでいた。

それが「捨てて来いと言われたが可哀想だからと連れてきた。」といつもしてくるあの話のようだ。

父親は、たまに帰ってきては私を遊びに連れ出し遊園地や動物園に連れて行ったり、おもちゃを買ってくれたりした。

私はできればたまに豪遊するよりも毎日傍にいてくれたらいいのにと思っていた。

そして夜になると、ガブガブと酒を飲んで、些細なことで祖父母と喧嘩をして飛び出すように出て行き、またしばらく帰って来ないということを繰り返していた。

不思議な期間

ある時

私は父親の友達の家に寝泊まりしていた。なぜそうなったのかは覚えていないのだが、保育園にも行かずに結構長い間その家に滞在していたと記憶している。

そこには父親の友達とその奥さん、息子2人が暮らしていて、父親と私はその家の一室に寝泊まりしていて、父親は昼はどこかに行き私は奥さんと2人で留守番をしていた。

息子2人は学校から帰ってくるとよく遊んで可愛がってくれて、奥さんも優しくて何不自由なかったが、しかし、そこはしょせん他人の家。

毎日なんとも気持ちが落ち着かず、夜も何度か目が覚めては泣いていた。そういう時、なぜか起きると部屋には私1人しかいなかった。

蛍光灯のナツメ球が部屋をぼんやりと照らして、寂しくて怖くて泣いていた。

喉がつっかえて、えづいて、何故ここに1人でいるのか?父親はどこに行ったのか?オエオエしながら泣き続けた。

泣いていると奥さんが起きてきて抱いて背中を撫でてくれていたが、泣き止めなかった。

もう40年以上前の話なのに、私はトラウマで、いまだにナツメ球をつけたままの部屋で寝ることができない。

ナツメ球がついた部屋にいると、夜中に目が覚めた時の、あのぼんやりとした景色を思い出し、そして、目をつぶっても心臓をギュッと掴まれたようになって眠れなくなる。

それからしばらくして、私だけ祖父母の家にの家に帰ることになった。何故そうなったのかは理由は分からない。

父親は私を置いてまたいなくなり、また行きたくない保育園と家の往復の生活に戻った。

お兄ちゃんとの貴重な1枚。

リカちゃん電話

帰る前に、そこの息子たちがリカちゃん電話の番号を紙に書いてくれた。

電話をするとリカちゃんが楽しそうに喋っているだけの電話。昭和時代に女の子にはあこがれのリカちゃん電話。

3人で何度も一緒にかけて、3人で受話器に耳を当てて、一緒に何度も聞いた楽しい思い出の電話。

とても嬉しくて家に帰ってから何度も何度もかけた。あの優しかったお兄ちゃんたちを思い出しながら。

しばらくすると、リカちゃん電話の番号が書いてある紙がなくなった。リカちゃん人形も、どこにも見当たらなくなった。祖母に聞いても知らないという。

その時は、自分でどこかに持ち歩いて失くしたのかと思っていたけれど、

数年後、小学生になった私は意外なところからリカちゃんと、リカちゃんのお母さんの人形を見つけ、電話番号が書いてある紙も見つけ出した。子どもが絶対にいじらないような所から出てきたのだった。

「あぁ、あの時にこっそり隠したんだな…」ピンときた。

私がかけすぎて電話料金が上がったのだろうか?それはリカちゃんのせいだから人形諸共隠したんだろうか?それとも別の何かを忘れさせたかったのだろうか?なぜそんなことをしたのか真意はわからない。

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