森田塾

小学生時代

森田塾は忍者屋敷

「おまえ~覚えてるか?森田塾って忍者屋敷だったよな⁉」

久しぶりに同級生と会った時こんな話になった。

「そうだったよね!ていうか、同じ塾にいたんだっけ?(笑)」

なんて冗談を言いながら、私は今では当時の同級生と笑顔で話す。

その森田塾は、先生の自宅の裏手に教室を増築したところに教室があった。門から入り、建物の横細道を通り、家の裏手に回る。

その経路も子供心には面白かった。

増築部分には簡易的なアルミのドアがあり、そこから靴を脱いで上がる。

埃っぽい、奇妙な古い臭いがする真っ暗な入り口の先に、忍者屋敷のような作りの、ほぼ45度かと思う急な階段があった。

その2階に教室があった。

ジャンプしたら床が抜けそうなその教室は、6畳ほどの広さにテーブルが4つあり各4人座れるようになっていた。

たまに満席の時は1階のアルミのドア付近の薄暗いダイニングテーブルに座ることになっていた。

森田塾は曜日しか決まっておらず時間も放課後としか決まっていなかった。

行くと、先生の指示したドリルのページを解いて終わったら帰ることになっていた。

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森田先生

森田塾の森田先生は女の先生で、結婚にうるさい昭和には珍しく未婚で病弱なお母さんと2人で暮らしていた。

私のことをよく「タカちゃん、じゃなくて真子ちゃん。」と孝伯父さんと呼び間違っては「ごめんごめん、また間違っちゃった。」と笑って言った。

そして、孝伯父さんは成績優秀だったと昔の話をしてはよく褒めていた。

ときどき、先生は私に「今日は朗読をしてから帰って。」と言ってきた。

私は本を読むのが大好きだったので、いつものようにスラスラと先生に読んで聞かせると先生は「真子ちゃんの朗読は素晴らしいね!」と本当によく褒めてくれた。

そして、たまたま図工の時間に書いた絵が賞を取ったとわかると、帰りに自由帳に絵を描いて見せてくれと言って絵を描かせた。

ある時、テレビで観た宇宙の絵を描いた。太陽系の絵だ。先生はその絵を見て「太陽系を知ってるなんてすごい!」とたいそう褒めてくれた。

テレビで観たものを描いただけでこんなに褒められるのか・・・。

家ではこんなことをしてもできて当たり前といった感じだったけど、森田先生は私に特別目をかけてくれているように感じた。

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祖母の反応

ある日、祖母と買い物に出かけると店先で森田先生に会った。

先生は塾での私の様子を祖母に話した。「朗読もつっかえずにスラスラ読めるのは真子ちゃんだけです。」とか「この間描いた宇宙の絵が素晴らしかった。」とか。

祖母はその場では嬉しそうにしていたけど、「そうですか〜。」といった調子聞いているだけだった。

帰宅しても特に褒めてくれることはなかった。いつも通り、そんなのはできて当たり前といったふうだった。

私は、祖母がそんな反応だから、森田先生が褒めてくれることは大したことでもないんだろうと思ったけど、その後も先生はやたらと褒めてきた。

今思うと、褒めて伸ばそうとしてくれていたんだと思う。

このくらいの頃になると、私は祖父母に褒められることがないせいで、「褒められる」ということに慣れていなかった。

だから、先生のことばが心に響かず「なぜ私にだけ音読をさせるんだろう?早く帰りたいのに・・・。」と思うこともあった。

家では相変わらず、勉強のできる子と比べられて「なんであの子のようにできないんだ?」と怒られてるので一番にならないと認めてもらえないということは薄々感じていた。

これでも一応頑張ってるのに、本当にできる子は何をしてるんだろう?

いや、でも、勉強なんて何のためにするんだろう?

出来の良い人と比べられることに何の意味があるんだろう?と思いながら毎日をやり過ごしていた。


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