森田塾は忍者屋敷
森田塾は先生の自宅の裏手に教室を増築した作りだった。まず門から入り建物の横を通り、家の裏手に回る。
増築部分には簡易的なアルミのドアがあり、そこから靴を脱いで上がる。真っ暗な入り口の先に忍者屋敷のような作りの急な階段を上がった2階に教室があった。
6畳ほどの広さにテーブルが4つあり各4人座れるようになっていて、たまに満席の時は1階のドア付近の薄暗いダイニングテーブルに座ることになっていた。
森田塾は曜日しか決まっておらず時間も放課後としか決まっていなかった。公文教室のように先生の指示したドリルのページを解いて終わったら帰ることになっていた。
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森田先生
森田塾の森田先生は女の先生で結婚にうるさい昭和には珍しく未婚で病弱なお母さんと2人で暮らしていた。
私のことをよく「タカちゃん、じゃなくて真子ちゃん。」と孝伯父さんと呼び間違っては「ごめんごめん、また間違っちゃった。」と言った。
そして、孝伯父さんは成績優秀だったと伯父さんを褒めていた。
ときどき、先生は私に「今日は朗読をしてから帰って。」と言ってきた。
私は本を読むのが大好きだったので、いつものようにスラスラと先生に読んで聞かせると先生は「真子ちゃんの朗読は素晴らしいね!」と本当によく褒めてくれた。
そして、たまたま図工の時間に書いた絵が賞を取ったとわかると帰りに自由帳に絵を描いて見せてくれと言って絵を描かせた。
ある時、テレビで観た宇宙の絵を描いた。太陽系の絵だ。先生はその絵を見て「太陽系を知ってるなんてすごい!」とたいそう褒めてくれた。
家ではこんなことをしても何ら褒められることもなくできて当たり前といった感じだったけど、森田先生は私に特別目をかけてくれているように感じた。
祖母の反応
ある日、祖母と買い物に出かけると店先で森田先生に会った。
先生は塾での私の様子を祖母に話した。「朗読もつっかえずにスラスラ読めるのは真子ちゃんだけです。」とか「この間描いた宇宙の絵が素晴らしかった。」とか。
祖母はその場では嬉しそうにしていたけど、「そうですか〜。」といった調子聞いているだけだった。
帰宅しても特に褒めてくれることはなかった。むしろ、そんなのはできて当たり前といったふうだった。
私は、祖母がそんな反応だから、森田先生が褒めてくれることは大したことでもないんだろうと思ったけど、その後もやたらと褒めてきた。
今思うと、褒めて伸ばそうとしてくれていたんだと思う。
このくらいの頃になると、私は祖父母に褒められることがないせいで、「褒められる」ということに慣れていなかった。だから、先生のことばが心に響かず「なぜ私にだけ音読をさせるんだろう?早く帰りたいのに・・・。」とそんな気持ちだった。
家では相変わらず、勉強のできること比べられて「なんであの子のようにできないんだ?」と怒られてばかり。そんなの、私もわからない。これでも一応頑張ってるのに。
勉強なんて何のためにするんだろう?出来の良い人と比べられることに何の意味があるんだろう?と思いながらなんとなく暮らしていた。
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