光子伯母さんはお母さん?

幼児期のわたし

光子伯母さんは、お母さんみたいだった

光子伯母さんが本当のお母さんになってくれたらいいなと思ってはいたけど、

本当に母親のように接してくれて、むしろ実の母じゃないことが不思議なくらいだった。

光子伯母さんはいつも「真子は可愛いねぇ。」と言ってくれて撫でてくれて手を繋いでくれて抱きしめてくれた。

泊まりに行くとき、なぜかいつも長期滞在で、私は孝伯父さんの末っ子のようにどこに行くときも連れて歩かれた。

祖父母の家にいる時はどこに遊びに連れて行ってもらうでもなく、用足しに行くだけだと言って留守番してろと家に置いていかれたり、

下手すると逃げるように出かけられたり、そんなに私は邪魔な存在なんだろうか?と思うこともあった。

でも、光子伯母さんは、仕事に行くとき以外はいつもどこにでも連れ歩いてくれて私は光子伯母さんが大好きだった。

赤いランドセル

私が小学校に上がる時には、光子伯母さんがランドセルを買ってくれた。

今も覚えている。孝子ちゃんと勝くんも一緒に東京のかばん屋さんに買いに行ったこと。

光子伯母さんは、ピカピカの赤いランドセルを選んで私に背負わせた。ちょっと重い本革のランドセル。私は嬉しかった。

一年生になるということで、孝子ちゃんはもう1人のいとこの久恵ちゃんと一緒にキティちゃんの文房具をプレゼントしてくれた。

まだ発売したばかりのキティちゃん、きっと誰も持っていないであろう可愛い筆箱、下敷き、鉛筆などなど・・・。

慎吾くんからはマクドナルドの下敷きをもらった。今考えると笑ってしまうが、慎吾くんが使って要らなくなったものだった。

その頃マクドナルドは店舗数も少なく田舎者の私には飛び上がるほどうれしかったその下敷きは日本地図になっていた。


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祖母の嫉妬

光子伯母さんがどこへ行くときも連れて歩くので、私は孝子ちゃんより勝くんより、光子伯母さんになついていて、いつも後を追ってついて回った。

そうすると、決まって祖母は私を叱った。「光子伯母さんはたかちゃんとまーちゃんのお母さんなんだから!しつこくしない!」と言うのだ。

別にしつこくはしていない。

料理をしている脇でずっと眺めていたり、ごはんの時は隣に座ったりしていたけど

なにぶん東京のアパートで狭い。なので寝る時は二段ベッドで孝子ちゃんと寝たり勝くんと寝たりした。

「お母さんじゃない。」

そんなのはわかってる、でも、幼い私にはかいがいしく面倒を見てくれる優しい伯母さんが大好きな気持ちが止められず祖母の目を盗んではおばさんの後を追った。

それからも、孝伯父さんの家に行くときや、伯父さん家族がうちに来る時は祖母が必ず

「光子伯母さんはたかちゃんとまーちゃんのお母さんだからね、今度後ついて回ったら叩くよ!」と言った。

それでも光子伯母さんはいつまでも可愛がってくれたけど,

祖母に言われ続けたこの言葉で、気持ちが疲れてしまったのか

私は、高学年になるころには、少しずつだが光子伯母さんに素直に甘えられなくなっていくのだった。


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