みんなのお母さん、私のお母さん

小学生時代

整くんの言葉

「ミステリと言う勿かれ」という漫画がある。

わたしが中学の時に大好きだった田村由美先生が書いている漫画だ。

「子供はバカじゃないです。自分が子供の頃バカでしたか?」と言うセリフがある。

何年か前にドラマになった時、整くんの名言が心に響いた人がたくさんいたと思う。実際私もその中の一人。

「子供って乾く前のセメントみたい・・・」の言葉も本当にその通りだと思った。

「落としたものの形がそのまま跡になって残るんです。」

そう、私が子供の頃も、バカではなかった。本当に乾く前のセメントと同じ、落とされたものの形がそのまま跡になって残ってしまった・・・。


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よその家のお母さん

小学3年生にもなるとよその家のことがだんだんわかってきた。

自力で遊びに行けるようになると行動範囲も広がって友達のお母さんの姿も見えるようになってきた。

たいていの友達はお母さんと仲が良かった。

そしてたいていのお母さんはいつもニコニコしていて、優しい。

悪いことをすれば怒るだろうけど。

その日の学校での出来事、先生に言われたことや友達とのエピソードを話したりしていた。

友達と喧嘩した愚痴を話したり、クラスの男子のふざけた話をしたり。

お母さんに「連絡帳は?手紙は?」と声をかけられて、ランドセルから出して渡し、集金袋がある時も忘れずに渡していた。友達は。私は、声もかけられないので連絡帳も手紙も集金もよく忘れた。

「テストどうだった?」

連絡帳に書いてあるからお母さんたちはテストがあったことも知っている。

100点じゃないテストを見ても怒ったりしない。人と比べたりしない。

「宿題終わったの?」とか「給食は何だった?」とか、友達が「給食はカレー。」と答えると「じゃあ夕飯にカレーはやめておこう。」なんて他愛のない話をしていた。

みんなの些細な日常がとても羨ましかった。


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家にいたくない私

私だったら、家に帰ってランドセルをおろしたらすぐに遊びにいくことを考えてしまう。できるだけ家にいたくないので、さっさと出かける。

誰かが来ていれば怒られないからと、うちで遊ぶことがあったけどそういう時はまず友達の家に寄ってランドセルを下ろし、一緒にうちに来たりした。

100点以外のテストなんか見せたらぶっ飛ばされるからとテストは引き出しの奥にしまい込む。

連絡帳を見せなければテストがいつあるか知られることもない。

どうせそのうち見つかってまた「誰ちゃんは出来るのになんでお前はできないんだ?」とか「こんな簡単な問題もわからないのか?」と比べられて叩かれるのだけど、そういうのはひとまとめで怒られないと毎日毎日ガミガミ言われて叩かれてしまう。厄介だ。

とにかく、出来るだけ家にいないようにした。

自分の観たいテレビも祖母のお眼鏡にかなわなければ視聴を制限されるし、虫のいどころが悪ければ小言が始まる。

家にいてもろくなことがない。

祖母の外面がいいのでさっさと友達の家に逃げ込むか、(外面の良さゆえ友達の前では何も言わない)友達に家に来てもらうか、毎日そんなことばかり考えていた。

私のお母さん

機嫌がいい時と悪い時の差が激しい。毎日顔色を伺いながらの生活。

何か欲しいものはドキドキしながら話した。

流行りのゲームが欲しいと言った時もまたいつもの「山に捨てる予定だったけど拾った」の話が始まった。

「おじいちゃんとおばあちゃんはお前を育ててやってる。」

「よそのお父さんやお母さんのように若くもない年寄りで大して働けないのにどこにそんな金がある?」

「いうことを聞かないとお母さんのところに返す、お母さんのところに行ったら今よりもっと酷い生活になる。」

「お母さんのところが嫌なら施設に預けよう。」

全てのワードが私を傷つけた。

私のお母さんって、本当にそんな人?怖い人なの?いくらなんでもそんなこと本当にあるんだろうか・・・。

毎回この話で泣いて謝っている私は何なんだろうか?

この頃、私はこの「育ててやってる」のお決まりのワードに疑問を持ち始めた。


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