誠くんの学校

小学生時代

マコト学校

ある日、トモちが近所の上級生男子たちと遊んでいることを知った私。

2つ年上の誠くん、妹がいて私の2つ年下の直子ちゃんという名前だった。

誠くんは登校班も一緒だったけど、それまでは学年も違うし、二人とも口数が少なくて大した話をしたこともなかったし、なによりトモちの兄、英樹くんと犬猿の仲だったのでちょっと近寄りがたかった。

私たちが妹の直子ちゃん共々、日本舞踊を習っていたこともあって、直子ちゃんと遊ぶようになり、そのつながりで誠くんとも打ち解けたらあっという間に仲良くなった。

誠くんは小学校ごっこをしていて、自宅アパートの隣の空室で近所の子たちが集まって楽しく遊んでいた。

そのアパートは翌年に取り壊しが決まっていたので、それまでの間、大家さんが太っ腹に遊び場に使っていいとしてくれていたのだ。

私はトモちに誘われて初めて行った誠君の学校にすぐに夢中になった。

学校ごっこはほとんど図工と理科の実験と体育の授業といったところだったが、休み時間が多い学校で、かくれんぼや色鬼で終わることもあった。

毎日のように遊びに行き。あーちゃんも雪ちゃんも早速仲間に加わった。

学校の宿題を持ち寄って終わらせて、それからがマコト学校の本番。

みんなで校門に売りにきてるひよこを買ってきて育てたり、(のちにニワトリになった)ジュースの瓶の中にアリを入れてアリの巣ができるのを観察したり、

一緒に学校の宿題をすることも、一緒におやつを食べることも、日々ワクワクすることだらけだった。

放課後、誠くんが「今日も来るだろ?」と言ってくれる。

そんなふうに誘われるのが嬉しくて、塾も早々に終わらせて私はせっせとマコト学校に通った。

初めて塾をさぼった日

私はだんだん月木の森田塾に行きたくなくなった。

そろばんはトモちもあーちゃんも一緒だけど、森田塾は私だけしか行っていなかったので、自分だけがマコト学校にすぐにいけないのが嫌だった。

そして、ある日、とうとう塾をサボってしまった。

塾の日は終わってからじゃないいとお小遣いがもらえないので、私は月謝の中から1,000円を取り出してお菓子を買った。

小銭がたくさんになってしまって、どうしようかと困り、通学路の自動販売機の下に自分にしかわからないように隠してその日は何食わぬ顔で帰った。

よく考えたら、お小遣いの分を使って、補充して、たとえジャリ銭だらけになったとしてもそのまま翌週、森田先生に渡せばいいだけの話なのに

私は調子に乗っていつもより多めにお金を使った。

月謝が足りなくなってしまった・・・そう考えるとなんだかもういいや~と、開き直ってその次も塾もさぼった。

私が、マコト学校で暢気に遊んでいた頃、今まで休んだことがなかったこともあって、森田先生は家に電話をしてきた。

そして、あーちゃんのお母さんに居場所を聞いた祖母が怒り心頭でマコト学校に来た。

「塾さぼって何やってんだ!今すぐ帰ってこい!」

もちろん帰りたくなかったけど、帰るしかなかった。

誠くんのこと

私はマコト学校の存在を内緒にしていたから、祖母に知られてしまったこともショックだった。

祖母はマコトくんの両親が嫌いだった。日本舞踊を始めた時、直美ちゃんがいると知って怪訝な顔をしていた。

その理由は今となったらわかる職業差別なのだが、その当時はなぜ嫌うのかがわからなかったし私が仲良くしてる人を「あの子はいいけど、この子はダメ。」と言われるのが嫌でマコト学校のことは絶対に見つかりたくなかった。

誠くんの両親は肉屋で働いていた。大きな肉屋だった。寡黙に働くお父さんと、子供思いの優しいお母さんで誠くんと直美ちゃん兄妹は喧嘩もするけど仲が良くていつも一緒に遊んでいた。

直美ちゃんは人懐っこくて可愛い妹のような存在だったし、日本舞踊で顔を合わせるのにバツが悪い。

祖母は「二度と遊ぶな!」と言った。

誠くんの家にも行き「二度と誘わないでくれ!」と言ったらしい。

翌日、登校班の集合場所で「お前の婆ちゃんにもう遊ばないでくれって言われたから、もう来ないでくれ・・・。」

誠くんは怒っていた。それ以上は何も言わなかったけど、祖母はきっと誠くん家族に酷い言い方をしたんだろうというのはなんとなくわかった。

直美ちゃんも私を避けていた。

私が塾に行ってから行けばこんなことにならなかった・・・。いつもなら、ほとんど悔やむことがない私だけど、この時ばかりは本気で後悔した。

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