私の拠り所
どんなに怒鳴られても叩かれても私は祖母の後を追った。
姿が見えないと不安で、どこへ行く時もついて行った。
もちろん毎日怒られたり叩かれたりしたわけではないが気が短い祖父母はすぐに手が出た。
虫の居所が悪かったり、忙しいときにぐずると怒鳴られたりはしたが、毎日食事は与えられ布団で寝かせてもらっていたし傍目には不自由には見えない生活をしていたのだから幼い私には拠り所に相当する。
幼い私にとって、その時の狭い世界の中、祖母がいないと生きていけないという本能で必死だったんだと思う。
置き去り
ある日、祖母が余所行きの服を着て街に出かけようとしていた。
私はついて行こうとしたものの、祖母は連れて行きたくなかったのか留守番をしてるようにと言う。
私が泣いて騒いでバス停までついて行くと、今度はその服じゃ連れて行けないから着替えてこいと言う。
祖母が、まだバスが来るまで時間があるから着替えて来いという。それも私が嫌いなワンピースを着てくるようにというので、しぶしぶ家に帰り着替えることにした。
バス停までは子供の足でも歩いて2〜3分といったところ。
そのワンピースは一応、祖母の中では他所行きと括られていた。チクチクとした素材で、着るとかゆくなる。柄も見た目が好みではなく色も気持ちが悪いと、私はいつも着るのを嫌がってきた。
でも、着替えないと連れて行ってもらえない。
私は急いで家に帰りワンピースに着替えたところで窓の外をバスが走っていくのが見えた。
私はまんまと置いていかれたのだった。
何故置いていかれたのか分からず、ただギャアギャア泣いて外に出るも、あっという間に見えなくなるバス。
すぐ疲れた歩けないと言うから嫌なんだろうか?
すぐ何か買ってというから嫌なんだろうか?
なんで間に合うと嘘を言って置いて行ったんだろうか?
祖父はすぐ帰ってくるからと慰めたが、私は騙して置き去りにした事がショックで散々泣いて、泣き疲れていつの間にか1人で泣き寝入りした。
帰宅した祖母は何事もなかったような態度だった。
ごめんねもなく、「どうして連れて行ってくれなかったの?」と聞ける雰囲気ではなく、どちらかというと怖かった。
私には、ただ嘘をつかれた、置き去りにされたという記憶しか残らなかった。
そんなやり方で傷つけるとは思わなかったんだろうか?
一人で外に飛びだして車に轢かれる心配はしなかったんだろうか?
今でも思い出すと胸が張り裂けそうな気持ちになる出来事のひとつだ。
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