重大事件発覚
結論から言うと、父親は多額の借金をしていた。
それを知ったのは十数年前、父親が亡くなった時。
何年も交流がなかったので父親がどんな生活を送っていたのか
詳しいことは知らなかったが、風のうわさでは、いろいろとあったようだけど、客観的には元気そうだと聞いていた。
借金について知った時、私も夫も、その場に居た従兄の清君も背筋が凍る思いだった。
それはそれはびっくりしたし
「なんてことをしてくれるんだ!」と腹立たしかった。
まだ子供たちは全員が学生で一番お金がかかる時期。そんな時に発覚したことだった。
そのことはのちに詳しく書くとして、
私はそれまで、
例え友達の家みたいな状況と違っていたとしても
一応、育ててもらったんだし・・。と感謝の気持ちを持たなくてはいけないな
敬わなくてはいけないなと自分に言い聞かせて生きてきた。
だから、どんな祖父母だったとしても周りの人には「それでも育ててもらったんだから。」と言われ続けて他の誰よりも欠かさず墓参りに行っていたし、盆、正月、彼岸には掃除もしていた。
父親の従兄弟で私の中学の恩師の次郎おじさんとその兄の一郎おじさんに「今までいろいろあったとは思うけど、最後の仕事だと思って1周忌の法事まではしてあげたらどうだ?」といわれて、自分の中のけじめとしてもそうしようと思っていたところだった。
生まれてきたのは両親がいたからという呪縛
先祖あっての自分
ということを忘れてはいけないとか
そのことに感謝して敬えとか
そうして敬える人にこそ本当の幸運はやってくるとか
ごもっともな話で・・・。でも本当にそうかな?
私も子を持つ親として、子供たちが幸せそうに楽しそうに暮らしていて
私も大病をするでもなくそれなりに暮らしていることが、確かに一番の幸せだと思っている。
それ以上を望むのはバチが当たるかと、考えてしまう。
借金問題はまだ片付いていないし、なぜそんなものを黙ってシレッとと残して逝くのか?
どういうつもりで祖父母はそういう人格に父親に育てたのか?
私は、この件以降、先祖を敬う意味が解らなくなった。
完全に先祖ガチャ、親ガチャ失敗じゃん
これが正直な気持ちだ。
親ガチャ失敗
もし私が、親ガチャ失敗と自分の子に思われたら切ない。
それなりに苦労して育ててきたのに感謝の気持ちは一切ないと思われていたら悲しい。
なのに自分の親をガチャ失敗と言うの?と思われるかもしれないが
自分も子供を育ててきたからこそ、なんでこんな酷いことするのかが理解できない。
育ててもらわなかった寂しかった幼少期のことを思い出したり、いつも祖父母に聞かされた捨てられた話をふとまた思い出しては涙がこぼれた。
父親が亡くなるまで、私は気が付かなかったけど、本当に自分のことだけを考えて周りに迷惑をかけて生きていることが平気な人っているんだな。
今は感謝しなくてはいけないと言のに感謝できなくなってしまった自分のことを考えると胸が苦しくなって、
鼓動が早くなって呼吸するのも辛くなる。
そして、また、なんで生まれてきたんだろう?誰のために生まれてきたんだろう?と自分の存在を全否定することがやめられない。
何度もこの言葉を脳内に発信してしまう。
いろんなことがすべて解決してくれること
いまはこれが一番大事だと信じて自分の客観視を続けて行こうと思う。
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