ひとり遊び【幼児期の孤独】

幼児期のわたし

わたしの幼児期の一人遊び

たまに来る父親が、大盤振る舞いでおもちゃを買ってくれるのはいいが、そのおもちゃで一緒に遊んでくれる人もいなかったわたし。

一緒に暮らすきょうだいもいなかった私は、家では1人ぼっちで遊ぶしかなかった。

とにかく毎日家では一人ぼっちの時間が長い。本当に寂しかった。

当時人気のリカちゃん人形も、一人遊びでごっこ遊びも成り立たず、いつの間にか髪は切り刻まれショートカットに。

父親が買ってくれた絵本、幼児雑誌、歌の本、これも誰が読んでくれるわけでもないので字が読めない私にとっては落書き帳。

女の子なのにプラレールを持っていて、遊べばそれなりに楽しかった。

しかし気付くと電車の電池が切れてしまう。祖父母は電池が高いという理由で交換してくれないのでなんとなくいつも放置。

そこで祖父が使っていた工具を持ち出して、電車も踏切も、線路脇に飾る木も、いろんな部品を分解してみたり。

何をどうして遊んだら楽しいのかわからなかった。そしてとにかくおもちゃを大切にしようという気持ちになれなかった。

一人遊びも大事だとは思うけど、小さな子供をこんなに相手にも市内で放置していて大丈夫なの?と思うくらい私は祖父母とも父親ともおもちゃで遊んだり本を読んだりした記憶がない。


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物を噛むことがストレス解消

もらい物のおもちゃの中にビニール製のブロックがあった。

そのブロックの名前が思い出せないので調べたらニューブロックというものらしい。知育玩具として今も販売している。

そのブロックはブロックとしての役割より、私の気持ちを落ち着かせる為の噛むアイテムになっていた。

そのブロックは硬すぎず柔らかすぎず噛み心地が良かった。それは「泣くな!」と怒られた時に噛むと特に気持ちがスッキリした。

噛むのはブロックだけでなく、鉛筆の反対側は全部噛み潰してあった。色鉛筆の後ろも噛むと気持ちがいい。同じく割りばしもやわらかい木の噛み心地がよかった。

思い返すと、よくそんなにと思うほど嚙んだ。

私は、この頃の自分に会って何度も抱きしめてあげたい、背中をさすって頭をなでてあげたいと思ってきた。

【もしもタイムマシンがあったら私は過去のわたしを抱きしめたい】と思っている。

私でないと私を癒せないと思う。できることなら、周りの人の気持ちも考えられる頑張り屋の私で子供時代を送らせてあげたい。

生きる価値があるということを小さい頃から感じられる私にしてあげたい。

それは絶対に無理なのだけど・・・。

たまに来る父親が趣味の写真を撮っていくのだが、何に囲まれていても、私が欲しいのはこれじゃないといつも感じていた。

当時流行りのキャラに囲まれてひな祭りの写真

何をどうしたらよかったんだろう

何をどうしたらいいのかわからなかった。

良いことも悪いことも区別がつかないというか。

今こうしてそれをまとめようとしても、それすらきちんとまとまらないほど頭の中がごちゃごちゃしていた。

全体的に何かを大切にするという気持ちがなかった。

周りの人であり、おもちゃ、持ち物、友達、大事にするって何?だった。

いつもおもちゃを壊したり噛んだりしては怒られた。壁やドア、店の備品、あちこち落書きも酷かった。思い通りにいかないと本を破いたり切り刻んだり。ダメといわれるとますますやりたくなった。

私は毎日何とも表現できないストレスの中にいた。何をはけ口にしたらいいのかわからなかった。

物を壊したり雑に扱うことでストレスの解消になっていたんだろうか?

その頃の私が欲しかったのはおもちゃではなくて抱っこだしおんぶだったから、毎日誰かにやさしくしてほしかったんだから。

そんな気持ちは、毎日一人ぼっちで、どんなにたくさんのおもちゃに囲まれたところで満たされることはなかった。



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