子供会と登校班

小学生時代



子供会

私が小学生の頃、各町内に子供会があった。

子供会は、夏休みに日帰り旅行があり、子供神輿があり、地区対抗のドッチボール大会や

廃品回収やクリスマス会があり、地区の中学生をリーダーとして活動していた。

どこにも連れて行ってもらえず、きょうだいもいなかった私は毎回の行事を楽しみにしていて必ず参加していた。

運動神経が鈍くドッチボール大会はやりたくなかったけれど、私たちの地区は狭いゆえに子供が少ないほうだったので強制参加だった。

すぐボールを当てられるのでいつも男子から邪魔者のような扱いを受けていたのでやりたい人だけでやれないのかな?と毎年思っていた。

友子ちゃんも愛ちゃんも、私同様どんくさい。なのでいつも3人で当てられる的になっていた。

友子ちゃんの兄、英樹は運動神経がよくて当てられた友子ちゃんに「お前のせいで負けた!」と言って蹴とばしたりしていて、私もついでに蹴られることもあり、私は英樹君が本当に大嫌いだった。

登校班

子供会には、登校班があった。

近所の子供達が待ち合わせ時間に指定の場所に集まり、整列してゾロゾロと歩いて学校まで行くのだ。

私はいつも集合時間ギリギリまたは遅れていくことが多くて置いていかれた。祖母の朝ごはんの準備が遅いのだ。

置いて行かれたからのんびりしていいわけではない。英樹君が先生にチクるので私は走って班を追いかけた。

小学校でも登校班へ交通指導をする地区別集会を学期末に必ず開いて安全確認をしていた。

私たちの地区は子供が少ない方だったが、1班につき7〜8人、全部で5班くらいあったと思う。

私たちの地区担当の先生は「班長と副班長はどら焼きの皮です。しっかりとアンコを包んでくださいね。中のアンコは皮からはみ出さないように班長の言うことを聞いて整列しましょう。」といつも言っていた。

その話を聞くたび、先生はそう言ってるのになんで班長はしょっちゅう私を置いて行くんだろうか?と思っていた。

冬には追いかけて走っていく私を見て、班の全員が走り出した。到底追いつけず、諦めて一人で歩いていくこともあった。

逃げるように置いて言った理由は「マラソン大会の練習をしていた。」という。

祖母の仕返し

ある時、そのことを知った祖母は激怒した。

何で知ったのか?担当の先生はうちの店のお客さんだったのだ。

先生は意地悪で置いて行かれていることも見抜いていた。

激怒して班長と副班長だった姉妹の家に「置いていくな!」と文句を言いに行ってしまった。

翌日から、ますます意地悪は激しくなった。

班長からは「アンタが遅く来るから置いて行かれるんだから、遅くなって置いて行かれても走って追いつけばいいだろ?」とみんなの前で叱られた。

「お前のせいでいつも遅刻ギリギリだ!」と英樹君は言った。

並び順で私の後ろは副班長なのに、なぜか英樹君が後ろにつくことになった。

そして毎日ランドセルを蹴られた。

これでまた言い返したら何をされるかわからない…。並び順が変わっても班長も副班長も英樹君に注意はしない。

毎日のように蹴ってくるので光子伯母さんが買ってくれたランドセルは潰れて、ロックの金具は歪んで開け閉めがしづらくなっていた。

ある時、私のランドセルに足跡がついているのに祖母が気が付いた。

言ったら余計いじめがひどくなるなと思ってはいたけど、

私は「英樹くんに毎日蹴られる。」と泣きながら話した。

祖母はカンカンに怒って英樹くんの家に行き文句を言いに行き、全然関係ないのに「もう友子ちゃんとも遊ぶな!」と言ってきた。

言わないほうがよかったのか・・・。

悲しかった。私はとにかく登校班でこれ以上嫌われないように細心の注意を払った。

英樹くんはもう私にちょっかいを出してくることも無くなったけど、私は班の全員から口を聞いてもらえなくなった。


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