祖母のプライド
私は音楽教室を辞めた。というか、辞めさせられた。理由は「みっともないから。」ということらしかった。
当時のヤマハ音楽教室はグループレッスンなので弾けても弾けなくてもレッスンは進んでいく。
今のヤマハはどうなのかわからないけど、私も自分の娘がピアノを習いたいと言った時、ヤマハを選択せず個人レッスンの先生に指導してもらった。
当たり前だが家で復習してくる前提でヤマハのレッスンは進んでいたと思う。
それに、ピアノはそんなに簡単に弾けるものではない。音楽記号も理解して一瞬で音符を読み右手も左手も違う動きをする。
私はこの時のことを思い返し
こ弾けてないの知ってましたよね?当日までに弾けそうもないのわかってましたよね?と私だけが悪いような言い方だったけど、祖母もレッスンに付き合うのめんどくさそうにしていたように見えたのは間違いじゃなかったと思っている。
そんな私の気持ちをよそに
当時たった5歳の私のせいということで祖母は収めたようだった。
でも音楽が嫌いなわけではない
それでも、私は歌うのが大好きな気持ちは変わらなかった。
私が3歳くらいの時に町内のカラオケ大会で「ふるさと」を歌い特賞を取ったそうだ。
自分は全く覚えていなかったけど、祖母がよく自慢げに話していたので一応知っていた。
賞を取った時、幼いのに音程もしっかりしていて強弱も上手だったとかで、祖母は私に過大な期待をしていたのかなと思う。
そして音楽教室に通わせ、結局たいしてピアノも弾けないのがわかり恥をかかされたと怒り心頭で、ぶっ飛ばしてきた。
でも私は幼稚園でも楽しく歌ったし、テレビで流れてくる「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」や「ピンポンパン」を観ながら歌も歌った。
ただし、もう家では絶対に祖母の前で歌うことはなかった。
ピアノは壊れればいいと思うほど壊れない
私はその後何年も家の電子ピアノを弾くことはなかった。
ことあるごとに「ピアノも買ってやったのに弾きもしないで無駄金を使わされた。」とグズグズ言われた。
そう言われるとピアノが置いてあること自体が鬱陶しかった。
相変わらずいとこの男子チームが来るとピアノでいい加減な曲を弾いてはゲラゲラと笑っていた。
祖母に注意されるのもお約束で、私は「早く壊れろ…」と毎度思うのもお約束だった。
一体いくらでこの鍵盤の重い微妙な電子ピアノを買ったのだろうか・・・?
私はあのピアノを見るたびにバカバカしい気持ちになった。
発表のトラウマ
幼稚園でもいつも景子先生が可愛い歌をたくさん教えてくれた。
私は幼稚園という元気に楽しく歌える場所があったから景子先生とクラスの子とたくさん歌を歌った。
しかし
私はこの件で祖母に何かを発表するのを見られるのがその後もずっとトラウマになってしまうのだった。
その後も、何かと発表する機会はあったけれど祖母の前で発表したくない」という気持ちは私の中で大きな心の傷になってしまったのだった。
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