寂しい夕方が嫌いだった
保育園の帰り道、2〜3日に1回、祖母はスーパーに寄っていた。
いつもそこで三角のテトラパックに入ったコーヒー牛乳を買ってもらい帰宅すると小さいインスタントラーメンを作ってもらって食べた。
自分の記憶で、いつもおやつはそれ。
そして保育園から帰ると、私は1人でテレビを観て過ごしていた。
保育園はいつまでたっても好きになれず行ってもつまらなかったけど、何人か仲の良い友達ができた。でも帰ってからはひとりぼっちの時間が続いた。寂しかった。
私にテレビは友達だった。
ラーメンを食べながら再放送のアニメを観て過ごす夕方。西日が当たる居間でポツンと過ごす時間が本当に寂しかったし嫌いだった。
昼寝が嫌いだった
保育園では昼寝がとにかく嫌だったので、家に帰ってから結局眠くなり、忙しくしている祖母に眠くて抱っこをせがみグズグズ泣いたりしようものなら「眠いならうるさいから早く寝ろ!」とよく怒られた。
眠さのせいか支離滅裂になり眠くない!とぐずる私に祖父母はいつも無視をした。
そして、2人で放っとけ!あぁ、そうやって泣いてろ!と同じことを言い、わんわん泣く私をいつも放置した。今も鮮明に覚えている。
最終的にはいつも1人で泣き疲れて眠りについた。その頃の私は指しゃぶりとタオルケットの端っこが心の拠り所だった。
寂しい夕方、眠い時、背中をトントンして欲しかった。この入眠不安だった時のことは今も思い出すと苦しくなる。
多分、隣に誰かいてくれるだけでも良かったんだと思う。ただ、座っていてくれるだけでよかったんだと思う。
会話のない食卓が嫌いだった
毎日の夕飯の時間は祖父母と楽しい会話をした覚えがない。
たいがい「ニュースが聞こえないから静かにしろ!」と言われた。
観ているのはNHK一択で、私が違う番組を観ていても食事が始まると絶対にチャンネルを変えさせられた。
祖父母はその時その時のニュースの話や政治家の話をしていたが、私には当然わからない。
黙々と食べていたと思う。
そして、どうしてもお腹がいっぱいで食べられない時も絶対に残させてくれなかったのも本当に嫌だった。
そのひとくちが喉を通らない。「たったこれだけ残すな!」無理やり食べて吐いて怒られることもあった。
あの頃、毎日の会話のない食事の時間、無理やり食べさせられることも、私には苦痛の時間だったことを覚えている。おかげで私はその後も家では夕飯時に積極的に会話をすることはなかった。
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