3歳くらいのわたし

幼児期のわたし

保育園入園

祖父母も商売をしていたし、父親も滅多に家にいないので私は気付いたら保育園に預けられていた。

私は保育園に行くのが嫌だった。

保育園時代の楽しかったことを思い出せない。

昭和の時代、私が通っていた保育園は、あくまでも家での保育が困難な人の子が集まったといった感じの質素なところだった。

幼い頃のことのせいか、日々の細かいことはあまり覚えていないが

たまにあった行事のことと、行くのが嫌だったことだけは不思議と覚えている。

入園したての頃

脱脂粉乳の思い出

行きたくないと泣いて騒いでも園の入り口で先生に渡され教室に連れて行かれ、毎朝ぬるい脱脂粉乳を飲まされたことも嫌だった。

脱脂粉乳は友達もよく覚えていた。

結構大きくなってから保育園の脱脂粉乳の話になった時には同園卒の全員が口を揃えて不味かったと話していたくらいだ。

薄暗い給食室から先生が教室に運んでくる大きな銀のトレーに乗せられた大量のアルミのコップ。

そこになみなみと注がれている脱脂粉乳。

教室にたどり着くまでに、こぼれてコップの周りもビショビショ。

なんといっても脱脂粉乳が臭くて不味くて、毎日えずきながらなんとか飲んだ。

朝から脱脂粉乳のことを考えると吐き気がした。

そんなこともあり、毎朝行きたくないとゴネるのだが、祖母から引っぺがされ先生に教室に連れていかれるだけで、抵抗しても全く意味がない。先生の事務的な対応もこの当時では普通だったのかもしれない。


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昼寝嫌い

寝たくないのに昼寝をさせられたこともよく覚えている。

夏は暑く、冬は寒い園のホールの床に、直に布団を敷いて寝るのだが毎日苦痛だった。

そして、ただ重ねられてしまわれた布団はホールの押し入れ臭く、なぜか粘土のような臭いがした。

眠れないので起きていると先生に怒られる。「目をつぶっていれば眠れる。」と言う。言うだけで添い寝をするわけでもない。

そんな保育園の先生の冷ややかな対応も怖かったが、それでいうことを聞いて素直に寝ようとは思わなかった。

お母さんの存在

そして、保育園に行くようになって私は気がついた。みんなにはお母さんという存在がいることを。

お母さんたちは、優しそうに見えた。みんな抱っこをねだったりおんぶしてもらったりしていた。

私は祖母に「抱っこやおんぶは赤ちゃんがすること、もう大きいんだから。恥ずかしい。」と言われていた。

祖母は私と手を繋ぐこともほとんどなく、抱っこやおんぶなど言語道断の勢いで、膝に座っても「重い!」と言って拒否された。

嫌々保育園に通い、毎日漠然と過ごす。みんなはお母さんと手をつないでお話ししながら帰っていく。

私は祖母の自転車の後ろに乗り、黙って家まで帰る。

帰宅してもいつも一人ぼっち。

遊ぶ相手もいない私は毎日家でもつまらないし孤独を感じていた。

そしてまた、家に帰ると寂しくて泣いてばかりいた。

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